2月の終わりに
気が付けばもう2月も終わりだ。
なんとなく毎月少なくとも2回くらいは更新しようと思いながらブログをやっているが、ペースが落ちてきている感じがする。別に無理して更新する必要はないのだが一度途切れてしまったらもう再開することはないだろうからできるだけ書こうと思っている。なんとなく始めたブログであるが、文章を書くと思考が整理されるので思ったことは書ける範囲で書きたいし、1か月に2回くらいはそういう時間が欲しい。この投稿はこんな感じで思ったままに書いていこう。
思ったままにとりあえず書く、というのは最近メールを打つ時に気を付けていることである。以前、文字によるコミュニケーションでメールが苦手みたいなことを書いたわけだが、ざっくり言うとメールの嫌なところは相手がそこにいないが故に表現に必要以上に気を使ってしまいがちになるところだ。しかし、実際のところ他人からのメールに誤字脱字や読みにくい表現が見られることはよくあるし、それで困ることもない。わからなかったら聞き返せばよいしとりあえず連絡を取り合うというところが重要なので、思ったままにとりあえず書くように気を付けている。
とはいえ、思ったことをとりあえず書くというのも簡単ではない。伝えたいことは頭の中にあるのに、いざ画面に向かうと文字が出てこないということはよくある。メールを打つ時もそうだし今もそうだ。会話であれば近い表現をとりあえず出して会話の中で徐々に真意に近づけていけばいいが、文章は難しい。言葉でうまく表せないのは自分の中で理解、整理できていないということなのだろう。先に文章を書くと思考が整理されると書いたが、より正確に言えば文章を書くという目的を設定することによって思考を整理せざるを得なくさせ、その結果として文章が書けているということだろう。
また文章を書くのが苦手みたいな話になってしまったので話を変えよう。
ブログの更新が遅れがちなのは頭の中が整理できていないだけではなく、これといったネタがなかったということも理由の一つである。最近は転居先が決まったり、裁判員裁判の傍聴に行ったり、横浜に行って火力発電所の見学をしたりとネタになることはいくつかあるが、あえて今回はそういったネタを使わなかった。最近の投稿には投稿ペースを落とさないためにあったことを書いてその感想を一文二文書いただけみたいなのがあったりするが、このブログはVoices Inside My Headを書き連ねていくものであって、ただの体験記みたいな投稿が続くのを避けたかった。
ネタなしに更地の状態から文章を生み出していくことは難しい。ひとたびネタが与えられたらそこから連想して話をつなげることはできるのだが。これは乱数生成プログラムとよく似ている。乱数生成プログラムでは最初に種(シード)として何らかの値を与えてやる必要がある。一度種を与えれば後は関数を呼びだすたびに乱数を生成していってくれるが、最初に種をやらないとプログラムは動作しない(驚くべきことに種を逆から読むとネタである)。乱数生成のプログラムは同じ種を与えると同じ乱数列を生成するが、人の思考は同じネタからでも全く違う方向に話がつながっていくのが面白い。なんかネタを一つ決めて文章を書いて、1年後に同じネタから文章を書いて比べてみたら面白いかもしれない。
前の段落までを書いてからこの段落を書くまでの間にバイトに行ってきた。今日が最後の勤務日だ。今後はTAなどはするかもしれないが、いわゆる普通のアルバイトをすることは無いだろう。バイトの仕事は大学の勉強や研究とは違って社会におけるその仕事の意味がはっきり分かるのでやることで自己肯定感のようなものを感じられた。大学での勉強や研究にももちろん意味があるが、研究(特に基礎研究)の持つ意味の多くは長期的に見たときの意味であって短期的に見たときにそれがどういう意味を持ち社会の中でどういう役割を担うのかといわれると難しい。そして多くの場合、意味とは何かを問われているときは暗に短期的な意味が期待されている。
しかし、人生において社会において意味とは何だろうか、ということを最近よく考える。意味のあることとは何か、なぜ意味のあることをすることを求められるのか、わからない。自分の見ているものが他人にとってどういう意味を持つかなどわかりようがないというのに。考えがまとまったらこのことについて書こうと思う。
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