人格

 

このウェブサイトとは別に研究用のホームページを作ったので、僕の名前を知っていて興味のある方は検索してみてください。漢字名でGoogle検索すると研究室のホームページ経由で、英字名だとGoogle Scholar経由で行けます。Bing検索では上位には出ません。

個人を特定するのに十分な情報は晒しているのでわざわざ隠す意味はあまり無いのだけど、一応このブログは匿名という設定でやっているのでリンクは貼らない。実空間では場所・人に応じて人格を調整できるが、インターネット上では全てが筒抜けなので立ち振る舞いをどうすべきか未だに困っている。人にどう見られるかをなぜそんなに気にしてしまうのかを考えた時に、一つ思いつく原因は幼稚園・小学校時代に転園・転校を何度か経験したことである。既に出来上がっている集団の中に入っていくために、自分がその集団の中で自然に振舞えているかを気にしながら生きていたから、その習性が未だに取れていないということなのかもしれない。転校を経験したことがある人と無い人との間にこういった差は有意にみられるものなのか、気になるところである。

久し振りに知人と会うと、変わったと言われることもあれば変わってないと言われることもある。どちらも正解なので、その時の気分で肯定あるいは否定する。最近では、研究を始めてから変わったと言われた。以前はだらだらと生きていたのに研究を始めてからは毎日大学に通って研究しているので、変わったと思われたのかもしれない。確かに変わったのだけど、僕自身は内面ではあまり変わっていない気がしていて、でも自分を観察する限りでは変わっているように見えるから、どうなのだろうと思っていた。先月、自粛期間でずっと自宅にいて、学振の書類書きに疲れたので一日だらだらして休んでみたところ、大学に行けないから普段の生活リズムに復帰することができなくなって、そこから2週間くらいの期間、研究を始める以前のぐだぐだ生活を楽しむことができた。ぐだってしまったので進捗を生めなかったけど、以前の自分から完全に変わってしまったわけではないことを確認出来て、なんとなく嬉しかった。

学振DCの申請書には研究者を志望する動機、目指す研究者像、アピールポイント等という項目がある。なるようになると思っているので目指す研究者像なんて聞かれても困るのだけど、僕はこれまで指導教員を人柄で選んできたので、人格のある研究者になりたいと書いた。ちなみに、これは書いた後に知ったことだが、ガンジーは人格なき学識を7つの社会的罪の一つとして指摘している。自粛期間中に鋼の錬金術師を一気見したときに、それに関連して7つの大罪を調べていて見つけた。

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