たんあり

 

「たんあり」とは僕が考えた「たんおめ(誕生日おめでとう)」に対する返答であり、「ありがとう」の意である。特定の文の省略形というわけではなく、なんとなく意味が分かるけど分からなくて面白いから使っている。

誕生日が過ぎて25歳になった。25年前に生まれた時は、まさか25歳になるとは思わなかったのに1、時が過ぎて25歳になったのである。25歳はアラサーと呼ばれるらしい2。30と言うと、まあまあ生きたなあと感じる。四半世紀を生きた感想やこれまでの人生に点数をつけるなら何点か、を聞かれたことがあったので、それらについて考えたい。

25歳になった率直な感想を一言でいうと、そうですか、になる。普段から年齢を意識することは無いし、生きていれば歳を取るのは当然なので3。25年間を振り返ってみても、昔の自分は今の自分とは違うので今の自分では25年間生きた感覚がしない。

自分の人生に点数を付けると何点か、というのはよくある話題である。これは問題をどう解釈するかで答えが変わってくるので、2通りの解釈で答えてみたい。1つ目は、問題をこれまでの人生に対する評価と解釈する場合で、問題を言い換えると、いま死んだとして人生に何点を付けるか、ということになる。これは30点くらいである。加点要素は、精神的経済的に自立できたこと、人間関係に恵まれたこと4などが挙げられる。第一の減点要素は、客観的に見た時に僕の人生での最大の成功が東大合格となってしまっていることである。大学合格は通過地点であるべきなのに、そこを未だに越えられずにいることにもどかしさを感じ続けている。第二の減点要素は研究をしているのにまだ論文を出版できていないことである。研究しているのに論文を出版せずに死ぬわけにはいかない。研究成果を挙げて論文を出版することは、大学合格を越えていくのにも必要である。第三の減点要素は、自分自身をまだ理解できていないことである。人間の思考感情がどのようにして生まれるのかは、仕事でやっている5研究以外で特に興味を持っているテーマで、日頃の思考を振り返ったり、こうやってブログを書いて言語化することで自分を理解しようとしている。あとしばらく生きて経験を蓄積しないとより良い理解には到達できないだろうと思う。この点数が70点くらいになるまでは死にたくないと思っている。

2つ目の解釈は、人生の中で今の地点にいることに対する評価である。これは問題が将来の展望を含むとして、これまでの人生での結果を現在地に至るまでの過程とみなす6解釈である。これは100点を付けたい。これまでの進路選択、意思決定を主体的に行ってきた結果として今があることに納得しているし、上で挙げた減点要素を今後解消できると期待しているからである。

  1. 生まれた時は年齢の概念を獲得していないため。
  2. 25の一の位を四捨五入すると30になることから。around thirty の略。
  3. 年齢の定義からほぼ当然ではあるが、相対論的速度で宇宙旅行して自分の時空では1年しか経ってないけど地球では100年経ってたとき、何歳になるんでしょうね。
  4. これは広い意味で僕に興味を持ってブログを読んでくれる人がいることを含むが、こんな脚注まで読んでくれる人がいるにもかかわらず30点を付けてしまったのは多少申し訳ないと感じている。
  5. 給料を出す日本学術振興会とは雇用関係にはないが、研究をして給料を貰っていることには違いないので仕事とした。
  6. 例えば、何らかの失敗があったとして、その経験を加点要素として解釈するということ。僕は人生の価値は死んだときに決まると思っている。失敗したことが今後の人生で最終的にどう影響するかは分からないので、生きているうちはその経験をしたことが評価の対象になる。死んでしまったら結果しか残らないので、結果で評価することになる。

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